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片田舎に若い夫婦が暮らしていた。間もなく妊娠・出産を経て二人は初々しい親となった。生後四ヵ月くらいのことである。夜中になると突然、火がついたように赤ちゃんが泣きだした。原因はわからない。新米パパと心配ママは我が子の原因不明の泣き叫びに頭を抱える夜が続き、すっかり精神的にマイっていた。婿養子として妻の豪邸に入った婿は、吹き抜けが我が子の泣き声に、より一層のエコーをキかせることを気にかけ始める。もうかれこれ三週間も、豪邸の闇に我が子の泣き声が響いている。入り婿は、このままではお義父様お義母様の睡眠まで阻害してしまうと気を病んだ。
「お義父様、僕たち一年ほど自立ってものを経験してみようかと思っているんですけどハハハ」
と、方便な嘘をついて婿は、妻子を連れ大邸宅を後にした。我が娘可愛さにこっそりと一年分の家賃と保証金を義父が支払った三畳一間のアパートは、妻が選んで来た風を装って住み始めたが、このアパートの不便さに妻は泣いた。我が子は未だ原因がわかぬまま泣いている。泣く我が子を抱きながら泣く妻を見て婿も、女々しく泣いた。こうして親子三人は、実質的に自立なんて出来ちゃいないアパートでの日々を、泣き暮らしていた。
(何か悪い病気にでもかかっているのではないだろうか…)
もの言えぬ我が子の身体が心配になり、婿は同僚に相談した。独身の同僚はためらいながら小声でこう言った。
「これは…あまり大きな声では言えないが…。同じような症状が出た子供を育ててる夫婦から聞いたことがあったなァ。おまえ、飛馬神社って知ってるか?」
「飛馬神社? 近いのか?」
「途方もなく遠いらしい」
同僚の話によれば、飛馬神社の巫女だけがその在処へと導くことの出来る「幻の滴」と称される「クナ」という名の飲み物があるらしい。それを一滴、泣きやまない赤ちゃんに飲ませるだけでたちどころに泣きやみ平和な夜が戻る。知る人ぞ知る魅惑の滴。しかし同僚は無責任に言った。
「そのクナってヤツが簡単に手に入らないみたいだぜ? オレが聞いたその夫婦もクナ汲みはあきらめたって言ってたし。失敗が怖くてやめたくらいだから相当アブナイとみたね、オレは。」
「失敗? 失敗するとどうなるんだ?」
「さぁね?」
沈黙が、続いた。
婿はそれから二週間ほど迷っていたのであるが、未だ続く夜中泣きっぱなしの我が子と、常に涙ぐんでいる妻を見るにつけ、巫女に会うだけでも会ってみようと飛馬神社を訪ねた。ちょうど鳥居をくぐったところで巫女の後ろ姿を認め、声をかけた。
「あのぅ、すいません。こちらの神社の巫女さんでク…」
「どうぞこちらへ」
振り返った巫女は「クナ」と言うのを阻むかのように掌を向け、婿を社務所へと導いた。先に中へ入った巫女は、ただ突っ立っているだけの婿に訊いた。
「息子さんが夜中に泣いておられるのですね?」
「いいえ、娘です」
赤ちゃんの性別を五分五分の賭けに出た巫女は、失敗した。婿の脳裏に「失敗」の二文字が浮かび、言いようのない恐怖と不安に交じって「なんでやねン」という思いが湧きあがった。
「ン…んンっん、ゴボゴボ…」
巫女はひとつやふたつやみっつばかし咳込んで、仕切り直した。
「クナを汲みに行くのは、容易なことではございません。数々の危険もございましょう。それでもあなたがどうしてもと言うならば、わたくしが先導して差し上げることは出来ます。しかしながら、いくつか申し上げておかねばならないことがございます。それを今、この場でお聞きになりよくよく考えてお決めください。今日明日のことではないのですからね? これから何年も先のあなたに関わることなのですよ? それでもあなたが決意を固くしてクナ汲みにと、おっしゃるならその時はわたくしも、覚悟を決めて道案内をいたしましょう」
婿は、聞けば聞くほど疑念が湧くその内容を聞いた。クナ汲みはこの巫女の先導なしには行かれないということを。クナ汲みを誰にも知られてはならないということを。もしもクナ汲みに失敗したら、末代までの祟りにより一族は破滅の道を辿ることを。
しかしクナ汲みに成功し、その一滴を赤ちゃんに与えることのできたその瞬間、本当の夜明けが来ることになるのだと巫女は太鼓判を捺す。
「今日のところはお帰りになりじっくりとお考えなさい、そしてやはりクナ汲みをやろうと思うならまたわたくしのもとへおいでください、その時は納得価格の九十七万円で力になりましょう、クナだけに」
と、巫女は言った。そしてこう加えた。
「再びここへおいでくださるその時までに、あなたがやっておかねばならぬことがございます。クナのことをあなたは誰かから聞き、知ったはずです。その人にお会いになり、クナ汲みをあきらめたのだと言わねばなりません。そして、あなたがクナ汲みをしている時この同じ日本に、妻子が居てはなりません。クナ汲みをすることを妻子はもちろん、決して誰にも知られてはならないのです。知られることこそが失敗なのですから」
婿は十三時間、思い悩んだ。十三時間という時間は飛馬神社から自宅アパート前犬走りまでの帰宅時間に相当する。婿はおもむろに玄関を開け、自宅に入り靴下を脱ぎながら妻に提案した。
「環境が変わると君たちの気分もよくなっていいんじゃないかな? この子も泣かなくなるかもしれない」
唐突に何を言い出すかと妻は訝ったが、婿は巧みに嘘をついて妻を説得した。妻子を遠い異国へと旅立たせたその日の夜、婿は同僚と立ち飲み屋にいた。話し込めば不安に駆られつい失敗の恐怖を漏らしてしまいそうで、立ち飲み屋にしたのである。クナ汲みをあきらめたとだけ言って立ち去りたかった。
「おまえ最近、痩せたんじゃないか? まだ子供は泣いてんのか? 一度、病院で診てもらったらどうだ?」
同僚は心配した。
「あぁ、もう一カ月以上だな、ずっと泣きっぱなしさ」
「オレさぁ? 気になって、あの夫婦にちゃんとクナのこと聞きに行ったんだよ。そしたら泣いてたっていうその子供、ぜんぜん泣いてないんだよ。あきらめるなんて言ってたけどやっぱクナを飲ませたんだろうと思って確認したら、巫女には会いに行ったけどクナ汲みはやらなかったらしいぜ? なんでも、巫女に会いに行った日に偶然、産婆さんに会ったんだと。そんでその産婆さんに子供の話をしてみたら、クナはいらないって思えてあきらめたって言ってたぜ? おまえも産婆さんに話してみな? いろんな子供を取り上げてるくらいだし、いろいろ知ってるに決まってるさ。もしかするとクナのことだって知ってるかもしんないぜ? 産婆さんに聞いてからでも遅くないだろ?」
「あぁ…オレ…実はクナ汲みをあきらめることにしたんだ」
「おぉ、そうか?」
「不甲斐ない父親なんだけど…失敗が怖くて…」
「気にするなっ! 誰だって失敗は怖いもんさ。あきらめるってのがいい選択だ。誰もおまえを腰抜けだなんて思わないさジョニー。父親なんだから、しっかりしろよ? さぁ今夜は呑もう! ここはオレの奢りさ~はっはっは~! ジャンジャン注いでくれよ、マスターっ!」
「お客さん、だいぶデキあがってますな? そのへんでやめといたがよろしいで?」
立ち飲み屋の大将が同僚に忠告した。
「オレじゃないんだよぅ、マスター。このチキンなダディにウォッカで乾杯だっ! なぁ、ジョニー?」
「どうします? お客さん、こんなんゆぅてはるけど?」
「…これ、二人分のお代です。もう酒は出さなくていいですよ。彼、酔っ払うといつもこうですから。ジョニーって言い出したらじきに帰る兆候です」
「おぉ~いジョニィイ~! 呑もうぜぇえ~?」
「悪いな、一足先に帰ることにするよ」
「おまえぇ~今日はノリが悪いじゃないか~」
「ジョニーになりきる気分じゃないんだ、あきらめてくれ」
そう言って立ち飲み屋から婿は立ち去った。
誰もいないアパートに帰り、婿は深いため息をついた。同僚の事は上手くやれたし、妻子も異国へ飛ばした。
「そうね、じゃぁ気分転換を兼ねてハワイアンキルトでも作ってくるわ」
と言っていた妻はとうぶん帰って来ないだろう。あとは、クナ汲みに集中・集中。明日のクナ汲みを滞りなくやり抜くため、婿は眠った。いつもなら我が子の泣き声が響く三畳一間は、シンと静まり返っている。
(いきなり静かで…逆にぜんぜん眠れん)
うるさいことが当たり前と思えるほど我が子が「泣き続けていた」夜だったという今までを痛感した婿は、いてもたってもいられなくなり、真夜中に産婆さんを訪ねた。
「ぁい~…なんじゃい…こんな夜更けに…」
産婆さんは婿を、ちょっと迷惑そうに迎え入れた。
「すいません…すいません産婆さん…こんな時間に…オレは…オレ…は…オレ…明日…明日クナ…クナを…うぅぅぅ…」
嗚咽する婿を見た産婆は熱い煎茶を淹れ始めた。
「まぁまぁ、とにかく落ち着いてそこに座りんしゃい。茶でも飲んで。何があったか話してみろ?」
煎茶をチビチビ飲みながら、婿はこれまでの日々を語った。響く泣き声に気を病み妻の豪邸を出てきたこと、泣き暮らしたアパートでの夜、「クナ汲み」の詳細を聞き決心したこと、妻子は異国へいることを言い婿は産婆さんに告げた。
「明日、僕は行くんです。クナ汲みをやるんです! 産婆さんなら知っているでしょう? クナですよ!」
決して誰にも知られてはならぬという約束を破り、不安に負けて婿はしゃべってしまった。婿のクナ汲みは今、失敗した。
「クナ? …はて? クナ…なんじゃそら?」
「…へ?」
婿の肩の荷はおりた。
「クナっちゅうのは知らんが、アンタの話から読むにそらアタシらが言うトコロの『虫散々』ちゅうヤツじゃけども?」
「…むし…さんざん…?」
「へぇ、へぇ。そりゃぁ昔っからアタシら産婆の間では『虫散々』が出とるじゃぁゆぅてな。『夜泣き』のことじゃ、ヨ・ナ・キ。アンタ、一人目の子供じゃったかなぁ? そらわからんじゃろうてのぉ。赤ちゃんはしばらくしたら、理由もなしに夜中に泣くもんじゃ。癇の虫が騒いどるだけのハナシじゃ、ほっといたらええ。夜泣きはな? 昔っからこう言うんじゃよ『癇の虫 散々泣いたら ハイしまい』泣かしといたらええんじゃ。泣かすことが親の務め、みんなそうやって大きくなったんじゃよ。」
婿は後悔した、育児書を読まなかったことを。すっかり心配事のなくなった婿は、
「ハワイに行ったら泣かなくなったわ~」
と帰って来た妻子と、豪邸に戻った。しかしどうゆうわけか、子供の夜泣きが復活。
「やだ…また泣いてるわ…ハワイでなくなったとばかり思っていたのに」
「お腹空いてるんじゃないか?」
「いいえ、さっき飲ませたばかりよ粉ミルク」
「じゃぁオムツだろ」
「ちっとも濡れてないじゃないのっ!」
「じゃぁ知らね」
「…っ! あなた、父親でしょ!」
「おまえは母親じゃねぇ~かっ!」
こうして闇夜、豪邸の吹き抜けに夫婦がやいのやいのと言い合う声が響くのであった。
をかし、をかし。
さて、この物語を変則七五調で短くまとめますとその語呂合わせで、要約した物語を言いながら円周率が書けるようになるでしょう。物語の所々を思い出しながら入り婿の気持ちを察してチャレンジすると、より間違いなく覚えることが出来るとともに、やりきれなさに満ち溢れる感情をとめることが出来なくなるようなら、しめたものです。
3.14 159 2
妻子異国に
65 35 8
婿と巫女は
97 93 2
クナ汲みに
38 46 2
産婆が読むに
64 33
虫散々
832 79
闇に泣く
50 2
困る二人が
8 8
やいのやいの